茂木健一郎(もぎ・けんいちろう)氏の記事
超面白い記事(まじめな)発見。
http://premium.nikkeibp.co.jp/itm/int/01/
自分も漠然と考えていたことが代わりにまとめられたようでウンウンうなずきながら読んでしまった。
それと同じことが、今のIT社会でも起きているということです。つまり、このIT社会は、最終的には、“脳”に流通するデジタル情報を消費してもらわなければいけない産業構造になっており、しかも、“脳の情報容量は無限である”という前提に立っているのです。そのため、人間の脳の可処分時間を奪い合うといった状況に陥っています。
いやー、目からウロコ。
昔は本やレコードを入手するだけで嬉しかった。ところが今やあふれすぎて、逆に“公害”にすらなってしまっています。さらに、自分が見ていないコンテンツがあるかもしれないと想像すること自体がストレスになってしまっていますよね。
そうそう、そうなのよ。だからもろアナログな媒体であるライブ(音楽に限らず)って今でこそ更に価値を感じる。
つまり、情報環境の変化によって脳の使い方が変わるということは、人間が過去に何度も経験していることであり、珍しいことではない。ただし今、それが全く新たな次元に突入してしまっているということは言えると思います。昔は何日もかけて写本していたテキストが、今や簡単にカット&ペーストできたり、ワンクリックで一生かかっても読めないくらいの(情報)量を入手できたりするわけでしょう。これはもう、脳にとって大変な時代に突入していると言えるでしょうね。
ラジオとかTVが家庭に来たときも凄かったんだろうな。
例えば「最近の子供はパソコンや計算機に頼るので、昔の子供に比べて暗記力や計算力が衰えてしまった」といった言い方をしてしまいがちです。しかしながら、暗記や計算はコンピュータに任せて、人間は別のことに脳を使うようになったわけです。
脳科学的な立場からすれば、それは優劣や比較の問題ではなく、あくまでも“違う”ということしか言えないのです。どちらの方が優れているかといったことは、ある程度の時間の経過や社会環境の変化の中で考えていかなければいけない問題で、今の時点で結論付けるということは誰にもできません。
これはずっと前から同じことを考えていて、こういう”違う”脳の使い方をして育った彼らが今の自分くらいになるときってまた大きく世界(IT先進国だけ?)が変わる節目になると思う。
そう考えると、現代人は色々な脳の使い方のチョイスがありますよね。コンピュータを一切拒否して、山奥で畑を耕して自給自足の生活を選ぶこともできれば、一日中、ポテトチップスを食べながら、パソコンに向かってネットを見たり使ったりして過ごす生活も選べるわけでしょう。これは、各人が自己責任で選択するしかないのです。
これは特に日本で顕著な話なんじゃないかと思う。これだけのチョイスがある国ってめずらしいのでは。ある意味ものすごく恵まれた環境といえばそう。でも正反対に自由すぎて辛い人もいるんだろうな。
最近、ニートが社会問題になっていますが、彼らからよく耳にする「人生の目的や目標がないから何もやる気が起こらない」という主張のどこが間違っているかというと、目的や目標は何でもよい。要するに行動しなければBには出会えないということなのです。
全くそう思う。
まあこんな感じで前半は色んな話が出てきてとにかく面白い。後半は本題のマネジメントの話で前半ほどではないけど面白い。某社の新会長にも読んで欲しい。